第5回(2005/02/25)


苗 加 稔 さん
(S56・中央復建コンサルタンツ株式会社 中部支社長)

数回の転職、会社の倒産も乗り越え、中部支社を任されるリーダーへとステップアップ!
「いつも、皆を巻き込んでプロジェクトを進めることに注力して来た!」そして「我々は、 幸せの舞台造りを担う」と語る苗加稔さんに、今までの経験とコンサル営業のノウハウを うかがいました。

■ 経歴
1981年:土木工学科卒業
1981年:川田工業鞄社(川田建設鰍ヨ出向)
1990年:潟}エダ(当時前田設計梶j入社
2000年:中央復建コンサルタンツ鞄社
現在に至る。


■ 経歴から3つの会社を経験されていますが、もしよろしければ、少し経緯をお聞かせください。

⇒ 川田工業への入社については、私の故郷(富山県)出身の会社でもあり、とりあえず地元での就職を考え 入社しました。しばらく工事部に在籍し、鋼橋架設の現場を3ヶ所ほど担当しました。
その後営業部への配置転換、名古屋への転勤などを経験する中で、誘いを受けて建設コンサルタント(潟}エダ)へ 転職しました。残念ながらこの会社は1999年に倒産、残務処理、部下の再就職の世話などしながら半年間程度の 浪人生活を送りました。そのような中で、現在の会社(中央復建コンサルタンツ梶jへ入社した次第です。

(写真は、最近の執務中のひとコマです)

■ ビジネス誌風に言うと「数回の転職を経験しながら着実にレベルアップ、会社の倒産もキャリアの ステップとして乗り越えた…」となりますが、それぞれの経歴の中で、どのようなことに注力されて こられましたか。

⇒ とても着実にキャリアアップしてきたとは思っていませんし、自分から積極的に転職をしてきた わけでもありません。
自分が営業職として携わった工事や設計業務によって道路や鉄道の構造物が半永久的に残っていくこと への喜びと、それによる会社や所属部署の成長への満足感が、仕事への活力となったように思います。
ただ一つ注力してきたといえば、自分ひとりで仕事をしないことです。 必ず上司なり部下なり他部門の人間なりを巻き込んで仕事をこなしてきました。 特にこれからの建設業の営業業務はチームワークが非常に大切になってきていると感じています。 一匹オオカミ的営業マンはなかなか通用しない時代になってきたように思います。


■ その中で、失敗談とか、こんなはずじゃなかったということは有りますか?

⇒ やはり2度目の会社の倒産でしょうか。 もう6年前のことですが、建設コンサルタント業界もまだそんなに発注量も落ち込んでいない時期でした。 売上高が落ち込んだための倒産ではなかったので非常に無念でしたし、中間管理職として若い部下たちに かける言葉もありませんでした。給与の遅配状況中での社内整理、倒産後の客先への残務処理など、 今から思えばなかなか経験することが出来ないこと経験することが出来たといえば救いかもしれません。


■ 逆に、楽しかったこと、やってて良かったということは?

⇒ 特に歓喜した思い出はありませんが、日々の営業の成果をみんなで喜び合ったことと、 各所に私が在籍した会社の成果(橋梁やトンネル等)が厳然として存在し機能していることぐらいでしょうか。
いろいろな先輩方と知り合えるきっかけは、平成14年の10月に初めて総会に出席させていただいたときです。 初めてお会いする先輩方や、逆に営業で知り合った方が、立命館大学出身者である事を初めて知ったりしました。 その時から、私にとって大学の先輩方は、人生についてはもとより、仕事をしていく上でかけがえの無い財産と なっていると言えます。いろいろな先輩からいろいろな話を聞いて、仕事の、人生のヒントを頂戴しています。


■ 現在勤務されている中央復建コンサルタンツ(株)さんは、HPの 「私のコンサルタンツ像」 というページで、各技術グループのリーダーが写真入で自分の体験や考えを語られています。
技術者の顔が見えてくる、そして会社の方向や風土を良く示されている会社だなと感じますが、 苗加さんから会社の様子を簡単に、説明していただけますか?

⇒ 発祥は戦後(昭和21年)満州鉄道の引き上げ技術者が中心になって創立した財団法人復興建設技術協会です。 それが昭和34年に全国6社に分社化し建設コンサルタント業務を継承しました。 その中の近畿支部を母体として葛゚畿復建事務所が設立され、その後中央復建コンサルタンツ鰍ニ社名変更し 現在に至っています。ですから、鉄道技術においては全国トップクラスの実力を継承してきていますし、 その他の部門でも近畿地方を中心に幅広い分野で社会整備に貢献してきています。 建設コンサルタント業界の中でも半世紀を越える歴史持つ会社は少なく、そういう意味では老舗と言っても 過言ではありません。
HPの会社案内で「パートナー・シップ経営」とありますが、社員で構成するパートナー会がほとんどの株を 所有し将来の社員へそれを受け継ぐことを経営理念としたものです。 そのような中で、建設コンサルタントとしての公正・中立を堅持し、心・技・体を兼ね備えたバランスの取れた 技術陣が長い歴史の中で培われたノウハウを活かして社会基盤整備に貢献していくことを目指しています。 確かにユニークな技術陣がそろっていますので、HPを一度ご覧になっていただければ幸いです。
また、立命出身者が多いので、近畿地方の「建立会」の事務局を歴代担当しています。


■ 苗加さんは中部支社長として、写真入で 「中部地区の未来をバックアップします!」とおっしゃっています。 現在発注量が減って来た土木業界で、勝ち抜く戦略などは?

⇒ 仰々しい題目で恐縮ですが、大型プロジェクトが終息した現在、ご指摘のとおりこの地方における発注量は 激減しています。新しいプロジェクトの先行きも見えてきません。また、財政再建の中での公共投資の削減は、 土木業界全体の将来に関わることです。建設コンサルタント業界においても何に重きをおいていけばいいのかは 喫緊の課題ですが、誰も明確に応えられず抽象的になってしまうのが実情です。 私も勝ち抜く戦略など持ち合わせていませんが、この地方においては既存のストックを如何に有効に活用して いくかを考えることがこれからの重要な課題ではないかと思っています。

ただ、どのような時代になっても、幸せの舞台づくりとしての役割を我々が担っていかなければならない ことも事実です。
(写真は、弊社で設計を担当したあおなみ線「金城ふ頭駅」です)

■ 営業をされている中でのエピソード(人との交流、味や酒、営業先での思い出等)を少し聞かせてください。

⇒ 営業ノウハウもにも関連しますので、ご勘弁ください。 ただ、この仕事をしてきたおかげでいろいろな人と知り合えましたし、趣味か仕事か区別がつかないようなことも 多々経験することが出来ました。そのようなことがこれからの人生に活かせればよいと思っております。


■ これからの夢は?

⇒ とりあえず、今後の建設コンサルタントの行く末を見極めたいと思っています。 そのためには、私たちが的確な選択をしていかねばならないでしょう。 そのあとは、名古屋や故郷などの地域社会の中で新しいコミュニティーが形成できるような「まちづくり」に 参加できればと思っています。


■ 愛知県衣笠会のメンバーへのメッセージやアドバイスなどありましたら?

⇒ 立命の同窓生は結束が固いとよく言われます。 私もこれまで諸先輩方にご支援いただいたことが多々ありました。 そのような中で「衣笠会」の役割は重大かと思います。 ますますこの会が発展し意義のあるものにしていただきたいと願いっていますし、 微力ながらそれに協力できればと思っております。


■ 座右の銘は?

⇒ 足るを知れば辱められず、止まるを知れば殆うからず」という老子の言葉があります。 何事も程々が望ましい。そのほうがいつまでも長続きするということです。 先頭にたって全力疾走するような生き方は、目立つので回りの風当たりが強いし、 途中で息切れする恐れもあります。 常に中段にあって、マイペースで走ったほうが、完走できる可能性が高いということでしょう。


■ 趣味は?

⇒ ありふれていますが、ゴルフ、囲碁、麻雀といったところです。 囲碁は学生時代に覚えてしばらく遠ざかっていたのですが、最近インターネットを通じて 再びやるようになりました。世界各国の人と対戦することができますし、 遠くはなれた旧友との対戦も可能ですので結構ハマっています。


■ 御家族は?

⇒ 妻、娘2人と息子一匹(?)です。
(写真は、その一匹の「タク」です)

■ インタビュー後記

通勤途中で見かけ、言葉を交わすと、いつも「やる気」・「気迫」を感じさせる苗加さん。
メールインタビューでは、営業ノウハウにまで迫ることは出来なかったが、その本質は、 返信頂いた簡潔な文章と、「1人で仕事をしないこと…」の言葉に集約されているように感じました。
インタビュー(e-mail):2005.02.25 吉田(S55)

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