第4回(2005/02/25)


水 澤 富 作 さん
(S50・大同工業大学 教授)

大学院時代は徹夜の連続で4000件の論文を読破した! その徹底した「努力」の積み重ねで、研究分野では独自のスプライン関数解析法を開発し、成果を世界に発信。
教育分野では、若者の意欲を引き出し、新しい教育制度下での「認証評価」に取り組む。
■ 経歴
1975年:土木工学科卒業
1977年:名古屋大学大学院工学研究科修士課程終了
1983年:工学博士(名古屋大学)
1986年:大同工業大学助教授
1987〜88年:オレゴン州立大学(OSU)客員教授
1995年:大同工業大学教授(工学部都市環境デザイン学科)
現在に至る。
詳細な経歴や研究成果は 水澤教授のHP で紹介されています。


■ 愛知県在住の土木工学科OBの中で、大学で教育・研究に携わっておられる方は水澤教授お一人なのですが、 きっかけというようなことがあったのでしょうか?

⇒ 2回生の時に、非常勤講師で来られていた名大・成岡昌夫先生から構造力学の講義を受け、 個性豊な先生の教授法に感銘しました。その後、卒研で指導教授の伊藤鉱一先生から一年間ドイツ語の特訓を受け、 平板力学の勉強を目指して、名大の大学院修士課程に進学しました。 昭和50年4月から成岡研究室に入ると「走行車両を受ける橋梁スラブの動的応答に関する研究」と 「平板に関する文献集(4000件)の作成」に取り組みました。ほぼ1日おきに徹夜で勉強しました。
M2生になり、進路は国鉄を希望していましたが、成岡先生から国鉄技術研究所で1名の採用があるので 受けないかと言われ、早速、先生の紹介状を携えて国立市にある研究所を訪問しました。 中庭にシートに覆われた最新のリニヤ車両があり、各所の実験室を見学させて頂き、深く感銘を受けました。 しかしながら、昭和52年はドルショックの煽りを受けて空前の不景気であり、不合格になれば就職先が無い状態でした。 幸か不幸か分かりませんが、最終的に不合格になりました。
それまで、大学の教員になることなど全く考えたことも無かったのですが、不合格になった折に、 成岡先生から大同工業大学に新しく建設工学科ができ、元国鉄の橋本香一教授が来るので、助手として行かないか との話があり、即座にお受けしました。 大同工大には、先輩の桑山先生もおられました。 大学に奉職できことは、すでに故人である両恩師伊藤鉱一先生と成岡昌夫先生のおかげであり、 導きに感謝申し上げます。


■ 水澤教授が勤務される大同工業大学はどんな大学ですか?

⇒ 大同工業大学は、福沢桃介により起業された大同製鋼(現大同特殊鋼)が、 昭和14年に中部地区の産業発展のために技術者の養成が必須であるとの中部財界の要請を受け、 財団法人大同工業教育財団を設置したのが始まりで、すでに大同学園で80年、大学で40年の歴史があります。 現在は学校法人大同学園が、大同工業大学と同大同高校を運営しています。
大同工業大学は、工学部5学科と情報学部1学科から成る単科大学で、大学院工学研究には修士課程に3専攻 (機械、電気電子、建設)と後期博士課程に1専攻(材料・環境工学専攻)があります。 平成18年度からは、大学院情報学研究科に情報学専攻の設置と、工学部にロボティクス学科の新設を予定しています。 現在、学部生が3,500名、院生が100名在学しており、卒業生は約2万人になります。
私の所属する都市環境デザイン学科は、昭和50年に設置された建設工学科(土木工学専攻と建築学専攻)を 平成13年度に改組して、新学科(90名定員)として設置され、11名の教員がいます。 土木系からは千人を越える卒業生(内女子学生80名)を輩出し、院卒者も100名(内25名は国立大大学院に進学)を 数え、企業、国・自治体などで活躍しています。 本学科からの大学院進学率は1割であり、1名のドクター学生(他大学にも3名がドクターコースに在籍)が 頑張っています。
本学の特色を、具体的に示すと、以下の点が挙げられます。

1.教育重視型大学 2001年に全国で初めて授業憲章を定め、全ての授業が公開されています。 また、授業開発センターが研究授業、全科目に対して学生による「授業アンケート」と 「授業到達アンケート」を実施し、FD活動(授業改善)を推進しています。
2.国際交流の推進 米国オレゴン大学・同州オレゴン州立大学を始めとして、英国、独国、デンマーク、中国、韓国の7大学 ・研究所と学術協定(姉妹校)を結び、国際共同研究を推進し、成果をあげています。 夏季に実施しているオレゴン大学短期留学は、20年になり、千人近い学生が語学研修を修了し、 語学の単位が認定されています。
3.産学協同研究 建学の理念でもある「産学協同研究」の素地があり、産学連携共同研究センターが中心にあり、 企業との共同研究が活発に行われています。リエゾンオフイスが窓口になり、研究スペース、 最新装置などの研究設備の使用を認可しています。

また、マスコミにも注目されており、「選ばれる大学」「面倒見のよい大学」「就職に強い大学」として、 週間エコノミスト、週間文春、サンデー毎日、東洋経済などに掲載されています。


■ オレゴン州立大で客員教授をされていますが、思い出に残るエピソードがありましたらお聞かせください。

⇒ 学位を1983年に頂いた後、海外研修を目指していましたが、若輩者ですので簡単には大学から派遣してもらえません。 1986年に文部省科学研究費「学術研究(大学間協力研究)」に、大同工大と姉妹校であるオレゴン州立大学での 海洋構造物の研究をテーマとして応募し、1987年度から3年間の海外学術研究(約1千万円)が採択されました。 プロジェクトは大同工大から6名とオレゴン州立大学から3名の計9名で構成され、私は1987年10月から1年間 オレゴン州立大学で「海洋構造物の動的破壊挙動と動的設計に関する研究」の実施計画のもとに、 共同研究をする機会を得ました。
オレゴン州立大学は海洋学部や海洋工学で有名であり、当時土木工学科海洋工学プログラムには、連邦政府から 12億の予算が付き、大型の造波装置が建設中でした。このような状況に、英語の不得手な私が飛び込んで行き、 日々数学と波の力学の研究会・シンポジウムに参加し、専門外の海洋工学の勉強に明け暮れる日々が続きました。 家族同伴で行きましたので、子供の入学・学習など経験したこととが無いような苦労が続きましたが、終始 「Honest is best」で臨みました。先生方、住民の皆さんから大変親切にしていただき、家内と子供たちは、 オレゴンに残りたい、残りなさいといわれる位、溶け込んでいました。 しかしながら、私は辛くて早く日本に飛んで帰りたいと、涙を堪える状況でした。 西海岸沿いの海洋施設の見学で勇気付けられ、無事研修を終了し、帰国後も来学された3名の教授の世話役や 研究連絡をしながら300頁の報告書も英語で書き上げました。 今思うと貴重な経験をさせて頂き、また研究終了後の翌年に癌で亡くなられた共同研究者の学科長 Schaumburg教授にも感謝しています。


■ 水澤教授が、研究と教育でそれぞれに最も力を注がれて来た(または現在注がれている)ことや その成果をお聞かせください。

⇒ 研究では、大学院の2年間を含めると30年になりますが、ライフワークとして平板とシェルの研究を続けています。 大同工大に来てからは、平板・シェルの数値解析法の開発を研究テーマに、平板の曲げ、振動、座屈解析を行ってきました。 当時、大型計算機の使用料で研究費が無くなるので、掲載料の高い土木学会論文集に投稿できず、 無料で掲載してくれる外国の雑誌に、研究成果を出してきました。
初めて掲載された雑誌は、Journal of Sound and Vibrationであり、3回修正させられ、4回目にacceptされ、 私のデビュー作が1979年に掲載されました。大学院の時に平板の文献4000件を読破したことが、大いに役立ちました。 その後も英国、米国、独国などの雑誌に投稿を続け、現在40編弱になりました。
1970〜80年代の構造解析と言えば、有限要素法(FEM)の全盛期で、当時先行していた欧米の研究者にとても 太刀打ちできないように思いました。研究者として飯を食っていくためには独自の方法が必要と考え、 スプライン関数を適用した以下のような方法を開発してきました。 @spline要素法、Aspline帯板法, Bspline Layer法, Cspline prism法, Dspline solid要素法などがあります。 さらに、現在はEspline選点法や、Fspline選点最小二乗法を適用した厚板の研究も行っています。 全てオリジナルな解析方法ですので、世界的に評価を得ており、外国の図書や雑誌に200編引用されています。
また、平板・シェルの振動、FRP積層板・シェルの動的破壊、平板・シェルの動的応答のほかに、 海洋ケーブルや膜構造の動的非線形問題や平板から発生する衝撃音や衝撃伝播などの研究もしてきました。 現在は、平板から発生する音と振動の関係や超高次振動の解析を研究中です。 大学院生や卒研生が、活発に研究を進めています。
「行き着けば また新しく 里の見え」

(写真は大学での授業の様子)

⇒ 教育では、本学の教育理念「創造と調和」と教育目標に基づく教育重視型大学が基本方針に据えられているので、 研究以上に教育にエネルギーを注ぎ、技術者教育を行っています。少子化や全入時代を向かえ、 また高校のゆとり教育から派生していると考えられる基礎学力を身につけていない学生が、急激に増えてきています。
私が所属している都市環境デザイン学科では、1,2年次に各分野別の導入科目・専門基礎科目があり、3,4年では これらの科目の応用である展開科目が配当されています。 3年次からは、社会基盤デザインコースと都市環境システムコースがあり、学生が主体的に履修できます。 都市環境デザイン学科は、現在、完成年度を迎え、96%の学生が各企業等に内定しています。
当学科では、@履修制限(単位の実質化の強化、各期20単位以内で履修可能)、 A標準教育プログラム(教育目標・人材養成目標が設定されており、学期末には全科目に対して学生による 授業到達度アンケートを実施し、理解度や満足度調査に基づく授業改善を実施)、 B18年度のJABEE申請を目指した厳格な成績評価(証拠に基づく客観的な評価法)、といった施策を実施しています。
私は1年前期・後期で、構造力学1,2を担当していますが、多様化し、異なった履修歴を持つ学生が増え、 悪戦苦闘の毎日です。構造系科目は10年前と比較して半分以下に科目数が減り、本学科の特色を出すために計画系や 環境系の科目を増やしています。このため、限られた期間で構造力学を理解させるために@予習・復習の強化、 ATA(大学院生の補助)+オフィスアワー(学習相談)の活用、B毎回のレポートの添削と模範解答の返却、 Cノート回収とチェック、D中間試験と定期試験+再試試験など、できることは全て実施しており、 事前準備にも相当な時間を費やしています。
成績を分析すると定期試験点とレポート点(毎回の復習・予習)には、強い相関が見られます。 やはり、1年次の段階で学習の習慣(勉強癖)を身につけさせることで、学問・技術への興味が高まり、 自ら学ぶようになると確信しています。
知識基盤社会の到来が叫ばれていますが、学歴ではなく、何を学んだかの学習歴が問われる時代になりました。


■ その中で、こんなはずじゃなかったということは有りますか?

⇒ 新入生の気質や意欲が毎年大きく異なり、成功例を当てはめても上手くいかないことが多々あります。 やはり、個々の学生の長所を如何に引き出すかが課題です。 問題意識の低い学生を如何に動機付け、興味や好奇心を高めるかも課題です。
「人を見て法を説け」かもしれません。


■ 逆に、やってて良かったということは?

⇒ 優秀な大学院生や卒研生に恵まれ、私の潜在力を引き出してくれた点が挙げられます。 やはり、若い世代の感性とエネルギーに勇気付けられています


■ これからの夢は?

⇒ 私が、大学で研究し、教育していることが夢のようです。
人真似が性に合わないので、異なった視点で問題を見つめています。 残り10年を、井口鹿象先生のように平板力学をライフワークとして、計算力学分野に貢献して行きたい。 また、大学では人づくりが使命です。21世紀のインフラを支える土木技術者の育成に努力したい。


■ 愛知県衣笠会のメンバーへのメッセージやアドバイスなどありましたら?

⇒ 今回、吉田さんからSGST(東海構造研究グループ)研究会の懇親会の折に、愛知衣笠会のホームページを 見ましたかと質問され、すいませんと答えたら、「人・夢」のインタビューに協力するようにと言われてしまい、 本日インタビューを受けています。
本来、建設業界と大学の関係、自然災害の軽減、教育改革などに視点をおいて回答しようと思いましたが、 大学という狭い社会で生きる自分を素直に書いてみました。
今後、企業間の再編に見られるように、大学も、淘汰・再編が加速してゆくと思っています。 象牙の塔では生きて行けません。これまで培ってきた実績と特色を前面に出し、人づくりに努力して行きたいと考えています。
大学では2004年4月に学校教育法が改正され、7年おきに教育機関としての認証評価を受けることが義務づけられました。 この法改正により民間企業が大学経営に参入でき、また専門学校は直接大学院も設置できます。 国立大学も独立法人化され、全ての大学が同じ土俵で戦うことになりました。 一連の流れは、規制緩和(大学設置基準の大綱化)から来ています。 私は現在大学評価委員長として、大学の教育機関としての自己点検・評価を実施しており、認証評価への対応に苦慮しています。
母校の立命館大学は、まさにトヨタと同様、勝ち組大学として君臨しています。 歴代の総長の先見性と実行力には、畏敬の念を感じさせられます。
最後になりましたが、愛知県衣笠会の益々の発展と母校立命館大学のさらなる発展をお祈り申し上げます。


■ 座右の銘は?

⇒ 「努力」です。
一期生の卒研生から、25年前に掛け軸「努力」を頂きました。辛い時にはいつも眺め、元気をもらっています。 努力菩薩になりそうです。


■ 趣味は?

⇒ これといった趣味はありませんが、読書が好きです。また、植物の写真撮りも楽しんでいます。
ゴルフやテニスもやっていましたが、趣味界から消えていきました。


■ 御家族は?

⇒ 家内と2人の娘がいますが、1人は嫁ぎ、外孫が2人います。


(写真は奥様とお孫さんと)

■ インタビュー後記

座右の銘にある「努力」で、独自の研究の道を切り開いて来られた水澤教授。
学生さん達の個性や意欲を引き出すための準備にも最大限の力を注がれています。 懇切丁寧に書いて頂いた文章からも、教授の研究と教育にかける熱意がひしひしと伝わるインタビューでした。 ご多忙の合間を縫って、今年は衣笠会総会へもお顔を出していただければと存じます。
インタビュー(e-mail):2005.01.25 吉田(S55)

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